IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP HAWAII
1:HAWAIIへの道
自分としてはアイアンマンハワイと言うのは(いや、そもそもロングのトライアスロン全般に関してだが)去年の10月の時点までは憧れと言うか,大学生を終わってからでいいや,と言う考えしかなかった。宮古島は出場するつもりではあったが,まあ様子を見る程度で勝負をしようなどとは思っていなかったが,瑞樹さんにアイアンマンマレーシアに誘われハワイにいける可能性が高いと聞かされ,行くことにしてしまった。マレーシアに行くまではそれほどハワイに対するこだわりと言うのは無くとりあえず完走が第一目標だったがいろいろな人から話を聞かされている内にやっぱりどうせ出場するならやっぱりハワイに行きたいと言う思いが湧いてきた。そしてマレーシアでは初ロングにして年代別1位になり見事ハワイへの出場権を獲得した。決してすばらしい成績だったわけではないがロングのゴールは鳥肌が立つほど感動した。その後,宮古島では何とか年代別2位(総合54位)になりロングに対する自信がついてきた。 そのころには自分はこれからロングをメインでやっていこうなどと考え方がすっかり変わってしまっていた。でもそれほど考えを変えさせるほどマレーシアと宮古島の2レースの魅力は強烈だった。
2:あこがれのHAWAII
10/2 出発&到着 まず火山岩で出来た大地と海から山までなだらかに斜面が続いている風景にハワイ島に来たんだ,ということを実感させられる。空港からホテルへの道には既に自転車で試走している人がいっぱいいる。夜は、カメハメハホテルに山本光宏さんと泊まる。夕食はIRONMAN JAPANの大会関係者におごっていただく。
10/3 受け付けとパレード 朝7時から試泳その後,山本さんと60kmぐらいバイクを試走に
行く,やはりすごい風,覚悟を決める。それほど熱いとは感じないが異様にのどが渇く。
国別の出場者数を見るとやはりアメリカが一番多く,意外に多いと思ったのはドイツやスイスなど,日本は150人ぐらいだった。
パレードは日本人のところはあまり盛り上がっておらず最初は2人しかいなかった。
最終的にには20人ぐらいにはなったがそれでも寂しかった。少ないながらも日本の国旗の後に続いて行進するのは強くナショナリズムを感じる。パレードは距離にして1kmも無かったとは思うが沿道はすごい盛り上がりで。さすがこういうところまで世界一の大会と思ってしまった。
10/4 カーボパーティ やっぱりレベルの高い人が集まっているせいかみんな自分より速そうに思える。日本の有力どころの選手とも話をさせていただいた。日本の大会と違う雰囲気がやっぱりハワイに来たんだと感じさせてくれる。途中ではアメリカの同時多発テロの犠牲者に対して黙祷がささげられた。この事件のせいでレースをキャンセルしたと言う人もいたらしいが,こういったときだからこそスポーツが国家と言う枠を越えて1つになれるものだということを示すにはこのアイアンマンは絶好の象徴となりえたのではないだろうか。
10/5 前日 瑞樹さんはバイクに乗りに行く。8時ごろまで帰ってこなかったのでかなり心配したがホイールが壊れ大変なことになっていたらしい。風の情報を聞きちょっとは気持ちに余裕が出来た気がする。 自分は1日おとなしく休養。
3:レース
10/6 レース当日 起床は4時。目の前がレース会場なので幾分,準備は楽。会場に行くとものすごい人だかりでそれも選手ばかりではない。見に来る人もこれだけいるんだと感動した。6時ごろ受付に行くと長蛇の列で焦ったがまあそんなにアップもすることも無いしと思いながら受付をしてバイクのセッティングをしているとあっという間に時間が過ぎていく。暗かったあたりも次第に明るくなっていき緊張感が高まっていく。スタート地点の桟橋のあたりはものすごい応援の人達で埋め尽くされ海は人だらけに。
朝7時 スタート バトルははじめのほうだけだろうと思っていたらとんでもなく3。9kmずっと足をつかまれたり上に乗られたりが続く。こんなことは宮古島でもなかった。考えてみれば自分のSWIMタイムは1時間6分ぐらいで1時間2分から6分あたりが一番人が集中するあたりらしいので当然と言えば当然なのかも。下はあんまり見る余裕は無かったが水深はそれほど無くてずっと下のほうが見えていてとてもすんでいてきれいな海だった。魚も時々見える。さすがにウエットなしで1時間はきついが何とかもまれながら1時間6分ほどでスイムをアップ。スイムからバイクのトランジションでは誰かに間違えてバックを着替え中に持っていかれてしまい靴下がはくことが出来なかった。
バイク うわさに来てはいたがかなり風が強くしかも強くなるのが予想していたより早かった。はじめのほうはそれほど風は強くなかったがだんだんと強くなっていきDHバーは持っていたら風に吹き飛ばされそうになる。ドロップバーの上を持ってやっとのところ耐えれるといった感じ。風はいつ弱くなるとかそういうことが全然わからないのでかなり気分がなえる。みんななぜあの強風の中であんなに速く走れるのか?体重の差なのか?走りながら考えた。 最初の方は調子もよく順調にいき山本さん,岳男さんにも追いつくが折り返し以降は大幅にペースダウン。抜き返されてしまう。やはり練習時間が取れなかったせいか長い距離を乗る練習が全然出来ていないと感じた。どっちかと言うと足が死んだと言うより腰が痛くて全然だめだった。何でこんなに腰が痛くなってしまうのかわからないが背筋が足りないのか,ポジションが悪いのか。どっちかであろう。 とにかく考え直す必要がある。
バイクからランのトランジションにもどるとみんな生気を失った顔をしている。やはりバイクは相当きつかったようだ。
ラン はじめはコナの市街を走る設定でかなり応援がすごい。日本人も多く『東北大,頑張れ!』と言う応援の声が頻繁にかかるがQueen.kに入ってからは寂しくなる。このころになるとトップの選手はもうフィニッシュ寸前でとりあえず順位はわからないがキャメロン・ブラウンなどが目に入った。小原さんともすれ違い『頑張れ!』などと声をかけていただいた。はじめの15キロぐらいまではおそらくキロ4分20秒ぐらいでかなり気持ちよく走れていてこれはいけるのでは,と思いながら走っていたが次第に足が動かなくなってくる。1回,岳男さんを抜かしたが自分もつぶれはじめ再び抜き返される。だんだんとペースは落ちてきておそらくキロ5分程度になっていたのではないだろうか?
ラスト5kmからは足がつってしまって足を引きずりつつ走った。何とか日没までにはゴールしようと思って走っていたが次第に暗くなっていきあたりは薄暗くなっていた。最後は今まで出たどんなレースよりも感動した。今までの疲れが吹き飛び鳥肌が立った。ライトアップされたゴール。ゴール前に集う観衆,ものすごい盛り上がり,歓声。足がつっていたことも忘れさせられた。タイムは11時間22分程度。情けない成績だった。
一回ホテルに戻って休んだあとは12時のレースカットオフまでずっとゴール前で見物をした。ゴールの周りでは音楽がかかりものすごい盛り上がりで人が帰ってくるたびにすごい歓声が起こり踊りだす人までいる始末。どんな順位で帰ってくる人もフィニッシュはものすごいいい顔をしている。やっぱり世界一のレースなんだと思わされた。
4:ゴール後そして....
10/7 岳男さんの結婚式。ハワイでの結婚式は暑そうだった。がそれ以上に2人は熱そうだった。岳男さんのかよさんといるときのあの目じりの下がった顔が頭に焼き付いた。2人ともいつまでもお幸せに。
そしてアワードパーティ。表彰はすごく盛り上がっていた。RESULTを見てみると自分と同じ年代で33人中30位という情けない成績に愕然とするのと同時に悔しさがこみ上げてきた。これが自分の実力なのだとはっきりとたたきつけられた感じだった。
最後にはレースのプレビューがビデオで流されて昨日1日のレースのことを思い出しながらなんかジーンと来てしまった。
うまくはいえないがハワイにはどの大会にも無い雰囲気があった。それは世界各地の予選を勝ち抜いてきた者達で争われるロングの世界最高峰の大会だと言うこともあったと思うし,それを支えるすばらしいボランティアの人たち,ハワイの風土と言うこともあったかもしれない。ともかくこの大会にものすごいエネルギーがあふれていてそのエネルギーをもらった気がした。
KONAを後にする飛行機で誓った,“次はいつハワイに挑戦することになるかまだわからないが絶対ここに戻ってくる。トライアスリートの聖地,ハワイへ。次挑戦するときは決してこんなものでは終わらない。表彰台に立ちたい。世界に肩を並べたい。”と。